2011年3月13日日曜日
3/11日のこと
3/11日、歴史に残る大きな地震が東日本の領土を覆いました。
ここ10数年バブルがはじけてから低迷し続ける日本経済
それでも這い上がる日本人、そしてリーマンショック、世界の経済危機に環境問題
それでも頑張る日本人・・・・・
頑張っても頑張っても上がれない・・・疲れていました
国会は政治家は野暮なオヤジ・・・・・疲れていました
と、先日乗ったタクシーの運転手さんがぼやいていました。同感です。
私もこの春は仕事の動きが遅く・・・うん?なにか?
3/11日、歴史に残る大きな地震が東日本の領土を覆いました。
東京大田区に住む私の家は震度5弱程度の揺れにあたふたとしていた頃
東北地方では大変なことになりました。
カラクは2001年“寧々家”郡山店の店内の壁に絵を描かせていただいて以来
10年欠かさず東北の地に足を運び続けていました。
沢山の方に出会い友人になり東京で育った私にはふるさとのようなところでした
それなのに・・・・
3/11日、歴史に残る大きな地震が東日本の領土を覆いました。
この土、日、TV全局で流れる被災状況に涙が流れます
同時にいままでお世話になっている人々の安否が気になり
全く何も通じていないとわかりながらもメールを打ち、待ちます。
3/13日あれから2日たった・・・
今朝、仙台と山形の友人たちから無事の知らせが届きました。
本当にホッとした。
また会える。
でも2日たってもう会えない人が沢山いることがどんどんわかる
悲しいことがたくさんある。日本がこんなだから起きたことだきっと・・・・
疲れすぎたけれどもう一度がんばらなくちゃならない。
私たちに何が出来るかわからない。電話すら通じない。宅急便だって届かない。
2日たって総理大臣のお願いがあった
節電して欲しいこと。輪番停電してほしいこと。これなら出来る。明日から出来る。
なんでもいいから力になりたい。
超えるしかないよね。
頑張ってください応援しています
東北の地でまたお会いできるのを楽しみにしています
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5 件のコメント:
阪神淡路大震災の朝を思い出す。僕は徹夜で締め切りのイラストを描いていた。ただならぬ気配でテレビをつけた。震災の風景に畏れを抱いた。また、考え方や生き方を見直せと自然が言っているようだ。
神様からの試練だとしても今回は規模大きすぎ。こんなに犠牲にならなくてもちゃんと考えたのにと思います。でも本当にこれで色々変わらなくちゃね。私も・・・
どんな言葉をもってしても・・・・・・。
私達がしっかりしなきゃ申し訳ない。
きっと立ち上がれるよ。何年かけても。
しあわせと幸福に違いがあるんじゃないか……。すこし、しあわせであって欲しいと願ってします。勝手な言い分ですけど、これからどーなるのかしら。
世界中の人が今日本を見守っているよ。
いろいろな人に助けてもらうのもいいね。
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